思い出の桐生
専門学校を卒業して会社に入ったその年の夏、ふと思い立って、青春18切符を手に普通電車を乗り継いで青森まで行った。
時間に縛られない自由な旅行を楽しみに行ったが、時刻表から立てた予定どおりに乗り継がないと、とても2日で青森に着くことは難しかった。
でも時間に縛られている感覚は一切ない。
「ここの乗り換えは3分しかないから、乗り換えホームが遠ければ走らないといけない。」
「ここで次の電車まで1時間あるから、昼飯はここにしよう。」
すべてが自由。時の過ごし方を決めたのが、すべて自分の意志だから。
その一人旅の初日、予定どおり最終電車で辿り着いた駅。
群馬県の桐生。
’きりゅう’という名前の響きが気に入った。
世の中のことにうとかった当時の私は、駅のベンチで眠れるものとばかり思っていた。
夜は駅舎が閉まるなんて。
仕方なく駅前で眠れそうな場所を探す。
駅の裏手のほうに寂しげな雰囲気を感じてそちらに向かおうとしたが、たしか工事中で眠れそうになかったような記憶が残っている。
この右端のほうから裏手にかけて工事をしていたような記憶がある。
裏手はあきらめて表にまわり、駅前の木のベンチに落ち着いた。
しかしまわりは終電を逃した客待ちのタクシーがたむろしており、運転手同士車を降りて立ち話をしている。
落ち着かない気持ちでいる私のもとに、一人の運転手が近づいてきた。
「兄ちゃん、どこまで行くの?」
青森という場違いな返事をすべきかどうか悩んだが、知らない土地では誤魔化しようもなく、相手の反応への期待も手伝ってそのまま言ってみた。
「青森まで。」
「へ?」
一度で理解してもらえるとも思えなかったので、すぐさま繰り返した。
「青森まで行く途中です。」
「あぁ、友達のとこにでも行くんか?」
話を早く切り上げたい。何のあてもなく行くなどというと、間違いなく質問は続く。
「はい、そうです。」
これで自由が再び私のもとに帰ってきた。
たぶんこれが思い出のベンチ。でもリニューアルされて当時のベンチではなくなっていた...
駅前ロータリーもずいぶん綺麗になっていたけど、それでもやっぱり感動は大きかった。
しかし夏でも半袖野宿はするものではない。
朝の4時から寒くてまともに眠れなかった。
私の計画を聞いた会社の同期が、「夏でも寝袋はいるよ」と言ってくれていたのに、
「夜、缶ジュース買いに行って寒かったことある?」と、相手にしなかったことが悔やまれた。
その後、無事に青森に到着。
盆休みの時期ではあったが、5件目に入った民宿で、なんとか素泊まりで1日だけ泊めてくれた。
その次の日からは予約があるという。
もう野宿は嫌だ。素泊まりでもなんでも構わない。
願いもむなしく、帰りの新潟で再び野宿をすることは、自由に縛られた私の宿命であった。